犬の瞳 - 長澤知之
この曲を初めて聴いたときは脳天を揺らされたような感覚になりました。
歌詞に衝撃を受けたとかではなくて、最後のどでかい大迫力のサビに強いインパクトがあったんです。
その時はいつもより大きな音量で聴いていたので余計。
犬の瞳にはバラもモノクロ
おんなじように君の見上げている空も
本当は赤いかもしれない 青く見えるだけさ
人の色覚が赤、青、緑の三原色であるのに対し、犬は赤がなくて、二色のみだそう。
空が赤いかもしれないというのは、当たり前のことも実は全く違う顔をしているかもしれないことなのか。
何かを風刺しているのか。
奴らの家はお花畑のなかにあって いつでも三時のおやつの時間
呼んでも呼んでも 気づかれないのは
君の言葉が日本語じゃないから
ポップソングを歌わないと 奴らには聞こえない
この歌に出てくる「奴ら」はいわゆる、リア充であったり、華やかな世界を生きる人たちなのかなと思います。
かなり失礼ですが、長澤さんってスマホ?を使わなかったり、SNSもしなかったりで、そういう世界とは離れている人という印象があります。
そして、今でこそ長澤さんは明るくて親しみやすい人って感じですが、昔はかなり尖っていたようで。
「奴ら」には「奴ら」の好きなものを見せないと(しないと)、見向きもしてもらえない。
世渡り上手でない不器用な人と犬の瞳の色弱をからめて解釈するのが妥当でしょうか。
ラブソングを書かないと きれいなラブソングを書かないと
ポップソングを歌わないと うまくポップソングを歌わないと
最後のサビのシャウトのような歌唱。
歌詞がどうこうとか考えるまでもなく圧倒されました。
社会のなかでうまく立ち回るためには。。。
難しいけど、それでもやっていくしかないですからね。