Life Is Party

NEW MUSIC , NEW LIFE

『星を継ぐもの』 - ジェイムズ・P・ホーガン

 

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SFミステリー小説の金字塔的な位置づけがなされているこの作品。

実際に傑作です。むっちゃ面白い。

 

この本には本当に痺れました。

あらすじやネタバレはググれば沢山出てきますので、飽くまでも紹介という意味で。 

 

月や地球などの太陽系の惑星や衛星が、どのようにして生まれたのかという問いに対しては、現在でも完全な答えはありません。様々な説がありますが、この小説ではロマンあふれるSF的解釈がなされています。

 

 

もちろん宇宙人は登場するのですが、それにまつわる謎を紐解いていくうちに人類の起源にすら近づいていきます。

間違いなくSFではあるのですが、現在の世界との乖離が大きすぎないというのがこの物語の面白さを語る上で、重要なポイントです。

 

スターウォーズの世界はまず有り得ないお話ですが、この物語の舞台は2028年。

星間飛行が可能となった時代であり、現実味があります。

 

 

 

読み進めていく内に情報と謎が錯綜して、頭がパンクしそうになりますが、それこそミステリーの醍醐味です。

 

 最期には、散らばりに散らばった色んな謎を一挙にスコーンと解決してしまう完璧な仮説が最後に説明されるわけです。

それはまさに、頭から霧が晴れるような感覚で、思わず「マジかよ...」と言葉が漏れました。

 

よくこんなに整合性のとれたお話を思いつくなぁと感心してしまいました。

 

 個人的には、ミッシングリンク(生物の進化過程で、その中間を担うような存在が見当たらないこと)という、実際に議論されている生物学的テーマについても、しっかりと言及していたことに興奮しました。

 

ホモ・サピエンスの誕生という生物学的大問題に対してもSFの観点から一つの大胆な答えを提示してきます。

都市伝説が好きな方は絶対楽しく読める本だと思います。

 

 

「有り得てしまう」というロマン。

そのロマンがページをめくる手を止めてくれません。

 

この小説はきっと、ロマンを感じさせる可能性とSFの度合いが黄金比で構築されていて、それ故に読者を魅了するのだろうと思います。

 

ニュータウン - キリンジ

 

4月になって新天地で新しい生活が始まる方も多いかなと思います。

 

僕も4回生になって研究室に入り、新しい生活が始まります。

この時期に聴くキリンジの大好きな曲がニュータウンです。

 


 

キリンジの1stフルアルバムから。

デビュー作ですが、とんでもない才覚を見せつけられる名盤です。

懐古厨なわけではないですが、最初の3作は僕のキリンジベストアルバムです。

 

キリンジの歌は本当に不思議な魅力に溢れてます。

語感の良さや発音の伸ばし方が絶妙で、耳が気持ちよくなります。

 

片仮名表記時代のキリンジは堀込兄弟によるユニットで、兄と弟の両方とも曲を書きます。

 

ニュータウン」は兄の高樹さん作。

 

弟の泰行さんがならば、お兄さんは理論派です。

キリンジでデビューする以前、お兄さんはnamcoゲーム音楽を作っていました。

下記リンクで当時のお仕事を聴くことができます。

 

キリンジの曲の元ネタと思われる曲たちが沢山あって、初めて見たときはかなり興奮しました。

 

歌詞で言うと、お兄さんはかなりエロティックな生々しい歌詞を書くこともあります。しかもそれを弟に歌わせるという...。

親に怒られたという逸話もあるくらい。

 

ニュータウンはそうでもないですが、それでも一筋縄ではいかない歌詞です。

肩に降る雨をまとう ひるがえす ひるがえす

言葉 言葉 言葉 言葉

シャツとコートが擦れ合う 振り返る 振り返る

君を 君を 君を 君を

 

雨降る中、すれ違う女性に一目ぼれ。

そんな展開でしょうか。

 

言葉のリズミカルな連呼で、出会いの高揚感が伝わってきます。

 

宇宙の木の実を 頬張る

むせかえす むせかえす

言葉 言葉 言葉 言葉

屋根から悪魔が落ちる つむじ風 たちまわる

二人 二人 二人 二人

 

ここの歌詞大好きです。

 

全然意味は分からないんですが。

「宇宙の木の実」とは...。

「屋根から悪魔が落ちる」なんて意味深すぎる。

 

都会の荒波にもまれる二人の描写?わからない。

 

キリンジはシリアスでえげつない事を、軽快に淡々と歌い上げているようなイメージがあります。

 

歌詞の最後には

燃えさしの太陽の沈む路地から

恋の終わりとも採れますし、沈みゆく日本の斜陽を歌っているようにも聞こえます。

 

何にしても単なるポップソングではないのがキリンジの面白い所なのかなと思います。

 

 

キリンジMr.Children並みにアルバム曲やB面が充実してるので、「エイリアンズ」だけ聴いて終わっちゃうのは本当に勿体ない。

 

YouTubeの何かの曲のコメント欄で「堀込兄弟が英語圏に生まれていたら、世界の華麗なるエンタメ界で脚光を浴びていただろうに」というニュアンスの書き込みがありました。

確かにそうだろうなぁと思います。

 

でも日本人としてはキリンジというバンドが日本にあったことが嬉しい。

それに、キリンジの良さはメロディは勿論、その「日本語」による豊かな詞の世界観です。

 

日本語圏に堀込兄弟が生まれていなかったら、そもそもこの音楽がなかったのだと思います。

ネイティブだからこそ汲み取れる細かい言葉のニュアンス。

日本に生まれた喜びの一つです。 

 

 

『メメント・モリ』 - 藤原新也

 

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この本を「いつか読もう」、「そろそろ読もう」と思っていて、やっと読むことができました。

 

意外と本屋に置いてなくて、結局Amazonでポチってしまいました。

 

 

"memento mori"(「メメント・モリ」)はラテン語で、「死を想え」や「自分が必ず死ぬことを忘れるな」と訳される言葉です。

(ちなみにandymoriの名前の由来はポップアートの巨匠アンディ・ウォーホル、そしてこの「メメント・モリ」からだそう)

 

Mr.Childrenの「花」という曲の副題でもあるので、僕には結構なじみのある言葉でした。

 

「死を想え」というテーマなので、非常にセンシティブな写真があります。

否応なしに「死」を考えさせられる本です。

 

数十年前のインドの写真なので、僕が去年行ったときとは結構違う、ディープなインドが写っています。

日本という生活水準が高く、公衆衛生の超先進国で生まれ育った人には衝撃が走る写真が沢山あります。

 

有名な「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ (『メメント・モリ』 - 藤原新也)」は勿論、僕も色々なことを考えさせられるページがいくつかありました。

 

二つ挙げます。

 

祭りの日の聖地で印をむすんで死ぬなんて、なんとダンディなヤツだ。

                                                        -『メメント・モリ』 - 藤原新也

 

全てのヒンドゥー教徒にとって最大の聖地ワラナシで死を迎え、荼毘にふされることは最高の誉れであり、そうすることで輪廻からの解脱を遂げられるとされています。

 

自分の死期を悟り、全てを捨ててワラナシの地へ向かうという人々がインドにいる事実に、僕はある種のショックを受けました。

自分が知っている「死」とはそんなものではなかったからです。

 

病気にかかれば、入院してあれこれ延命治療を受け、病院のベッドで最期を迎える。

これが不幸せだなんて思いませんが、死の迎え方としては貧乏だと思います。

 

日本では尊厳死が認められていません。

日本での死に方は、あまりに軽んじられていると思います。

物事の終わりが重要であるように、人生の締めくくり方ももっと議論されて然るべきだと思います。

とても難しい問題で、色んな意見があると思いますが、僕は尊厳死の合法化を望みます。

 

最大の聖地で、祭りの日に、印を結びながら、息絶えたこの人は自分の信条のもと最期を迎えることができたのです。

 

遠くから見ると、

ニンゲンが燃えて出すひかりは、

せいぜい六〇ワット三時間。

                                                     -『メメント・モリ』 - 藤原新也

 

ワラナシでは、火葬場が幾つかあります。

僕も間近で見たあと、ボートにのって遠くからも見ました。

 

60ワットというとLED電球一個分くらい。

生きている間に放つ人の輝きに比べれば、なんとあっけないことでしょうか。

 

どんなにパワフルで、キラキラ、燦燦とした人でも三時間で燃え尽きてしまう。

OとCとHとNとCaとPと...。

生物は有機物で、燃えたら灰になってしまう。

 

では魂はどうなる?

 

多くの日本人は信仰を持たないので、何の迷いもなく即答できる人はそうそう居ないんじゃないでしょうか。

 

「そもそも魂なんてない」という人も居るかもしれない。

僕は火葬場から立ち昇る煙を見て、ジョジョとかスターウォーズみたいに霊体が空に昇っていく描写を思い浮かべました。

当時は火葬場を前にして、そんなことを思い出す自分を、無粋で失礼なヤツだと思いましたが、今になって振り返ると、肉体が灰となって大地に還るのだから、魂は煙と一緒に本当に空に昇っていくんじゃないかと考えるようになっています。

天と地、二元論、肉体と精神。

 

いち理系人間としてどうかと思う考え方ですが、「死」に対する納得の仕方としては全然アリだと思います。

 

 

以下の記事でとても分かりやすくワラナシの事情を知ることができると思います。(グロテスクな写真があるのでご注意ください。)


 

 

 

本の題名が題名なだけに、本全体を通してすごく重くてシリアスな内容ばかりなのかなと思いましたが、そんなことはありませんでした。

 

猫への言及が2回ありました。どっちもクスっと来ます。

二つとも書いちゃうのは読む人の楽しみを奪ってしまうので、一つだけ。

 

ねこは猫の置物である

                                                     -『メメント・モリ』 - 藤原新也

 

 同感です。猫は置物。

「静」と「動」の差が激しいのもあってか、猫は「静」のときは本当に置物のよう。

「あれ、どうしちゃったの」と心配したら目玉がギョロっと動いてこちらを驚かせます。

 

他にも旅情を駆り立てる言葉と写真が沢山あります。

 

インドのワラナシで撮った写真がかなり多いのですが、日本での写真もちょこちょこ登場します。

インド極北の地であるラダックと思われる場所の写真も登場します。

 

ラダックの空の青さは、それはもう絵の具で塗りつぶしたような青さだと言われます。

 

かつて標高4千メートルの、真青の空の下で暮らした。あれ以来、いかなる土地にいっても空が濁って見えるという宿病を背負ってしまった。

                                                     -『メメント・モリ』 - 藤原新也

 

旅人にこんなにまで言わせる空を見てみたい。

ガイドブックで見るだけじゃ、やっぱり辛抱できないです。

 

インドに行く前に読んでいたら、また少し違う旅になっていたろうなぁと思いました。

僕がインドに行ったときの動画があるので良かったら見てみてください。

(ついでに置物みたいな大山の猫の動画もアップしました。)

 


次にインドに行くときはラダックと南インドに行きたいです。

 

きっと目に留まる、そして心に残る写真と詩があると思います。

 

三日月 - くるり

 


 

昨日は(たぶん)三日月だったので大好きなこの曲を聴きました。

最近はコロナのせいで家に引き籠りがちですが、何となしに夜散歩に出かけてよかったです。

 

思いがけなく見つける満月とか三日月って嬉しいんですよね。

 

幸せな気持ちになります。

そして誰かと蕎麦を食べたい気持ちにもなります。

 

この三日月を この三日月を 

どこか遠くの街で見つけたら

この三日月の この三日月の 

欠片のことを教えてください

 

あとの歌詞で出てくる「君」に向けて歌っているのでしょうか。

僕も大好きな人に綺麗な月とか空とか花の写真を送りたいし、送ってもらいたい人です。

タイムラインとかじゃなくて、自分宛に送ってもらえることが嬉しいのかも知れませんが。

 

それにしても、天体現象が明かされていない頃、昔の人はどんなふうに月の満ち欠けを見ていたんでしょうか。

 

明日になれば 明日になれば

太陽がさんさんと輝いて

つらい涙も 悲しい気持ちも

全部風に乗って消えてゆくでしょう

 

時間は心に効く唯一の万能薬。

すごく辛いことがあっても、時間が経てば、それこそ「風に乗って」消えてしまいます。

 

僕は気分が沈むことがあれば、すぐ寝ます。

長時間睡眠は心も体も回復させてくれます。

明日になればね、大丈夫。

 

この淋しさを この淋しさを

どうかやさしさに変えてゆきたい

どうかやさしさに変えて届けたい

 

卑屈にならずにやさしさに変えていきたい。

人にやさしく、自分にもやさしく。

 

負の感情に取り込まれそうになったときは、もっと自分や人のことを想うようにしようと思います。

 

曲の長さがこれまた丁度いいんですよね。

 

 

Overlord - Dirty Projectors

 

 


 

Dirty ProjectorsはUSインディー・ロックバンドです。

不定形な自由な形態おバンドのようで、Vampire Weekendのボーカルのエズラが参加していた時期もあったらしいです。

 

 

MVにも出演している女性はおそらく主要メンバーの一人だと思うんですけど、この方がボーカルを担当する曲は珍しいです。

多くの曲は男性メンバーがボーカルを担当しているようなのですが、今回リリースされたEPは4曲ともこの女性がメインボーカルを歌っています。

コーラスワークが綺麗な曲もあって休日にゆっくりしたいときのBGMになります。

 

今回のEPはこれまでの作品に比べて、メロウでリラックスできる感じがします。

 

僕自身この女性の声が大好きなので、この方向性のニューリリースを期待してます。

 

Here's Where The Story Ends - The Sundays

 

 

 

 

Homecomingsに続きネオアコ

もう30年も前の曲ですが、全然色褪せない名曲。

 

すごく透き通っていて爽やか。だけど純度100%でもあって。

なんでもこの曲、使われているコードが、Gmaj7とCmaj7のたった2つらしいんです。

シンプルだけど、豊かな音楽空間。

 

Here's where the story ends

Ohh, here's where the story ends

 

曲のタイトル、「ここは物語が終わる場所」はなんだかワクワクさせられます。

この曲がエンディングテーマにピッタリ合うドラマや映画はなにかないでしょうか。

 

何か壮大で、青春の塊みたいな物語がいいですね。

 

It's that little souvenir of a terrible year

Which makes my eyes feel sore

It’s that little souvenir of a colourful year
Which makes me smile inside

 

一番では、「それは散々だった年のささやかなお土産。目に沁みるお土産。」で2番では「それは彩り溢れる年のささやかなお土産。心から笑顔になれるお土産。」

 

青春映画そのものって感じです。

悶々とした、憂鬱な日々から得難い、かけがえのない彩りのある日々に。

そして最後にこう続きます。

 

So I cynically, cynically say, the world is that way
Surprise, surprise, surprise, surprise, surprise
Here’s where the story ends
Ooh here’s where the story ends

 

「そうして私は皮肉をこめて、世界はそういうものなの、と言うのです。

 驚き、驚き、驚き、驚きの連続。

 ここで物語が終わる。ああ、ここは物語が終わる場所。」

 

 

 

Hull Down - Homecomings

 

久しぶりに大学に行ったら桜が咲いていて、春を感じました。

どんな状況でも季節は巡るのです。 

春の曲のプレリスト作らねばと思ってライブラリを眺めていたらこの曲を見つけました。

 


 

最近は日本語詞の曲をリリースしているHomecomings。

日本では貴重なオーラをまとう爽やかなネオアコバンドなだけに、「日本語詞でもいつか歌ってくれればと思っていたらなぁ」と思っていました。

 

こんなサウンドを日本語で聴けるのが本当に嬉しいです。

女性3人、男性1人という珍しい構成ですが、メンバー仲良さげで楽しそうです。

ライブではボーカル以上にギターの福富さんがMCをするのですが、それがまた面白いです。

 

水平線 隠れている

春にしては暑すぎる日

陽だまりがぼやけて夢のようだ

 

"Hull Down"は少し難しいですが、「船体が見えないぐらい遠くに」や「水平線下に」という意味だそう。

海に行きたいです。

春といっても、この曲の時期は5月くらいでしょうか。

春のデイドリーミング。

 

壁紙のように意味のないことも

誰にでも降る魔法みたいだ

街並みが不意に途切れた後で

1コマ目に戻るような

 

同じメロ部分の一番と二番の歌詞。

どちらの比喩も最高にエモいです。

 

 とくに「1コマ目」が好きです。

「振り出しに戻る」だとちょっと残念な感じですが、「1コマ目」ならいいかも。

 

穏やかな風がくすぐるから

さあ 君に会わなくちゃ

少し照れるな

 

僕の好きな表現でました。

「コーヒーブルース」でも書きましたが、義務の意味じゃなくて「引き付けられている」感じ。

 

 

 MVも最高です。いい色調。

 

 この海岸どこでしょうか。

行ってみたいです。