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『メメント・モリ』 - 藤原新也

 

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この本を「いつか読もう」、「そろそろ読もう」と思っていて、やっと読むことができました。

 

意外と本屋に置いてなくて、結局Amazonでポチってしまいました。

 

 

"memento mori"(「メメント・モリ」)はラテン語で、「死を想え」や「自分が必ず死ぬことを忘れるな」と訳される言葉です。

(ちなみにandymoriの名前の由来はポップアートの巨匠アンディ・ウォーホル、そしてこの「メメント・モリ」からだそう)

 

Mr.Childrenの「花」という曲の副題でもあるので、僕には結構なじみのある言葉でした。

 

「死を想え」というテーマなので、非常にセンシティブな写真があります。

否応なしに「死」を考えさせられる本です。

 

数十年前のインドの写真なので、僕が去年行ったときとは結構違う、ディープなインドが写っています。

日本という生活水準が高く、公衆衛生の超先進国で生まれ育った人には衝撃が走る写真が沢山あります。

 

有名な「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ (『メメント・モリ』 - 藤原新也)」は勿論、僕も色々なことを考えさせられるページがいくつかありました。

 

二つ挙げます。

 

祭りの日の聖地で印をむすんで死ぬなんて、なんとダンディなヤツだ。

                                                        -『メメント・モリ』 - 藤原新也

 

全てのヒンドゥー教徒にとって最大の聖地ワラナシで死を迎え、荼毘にふされることは最高の誉れであり、そうすることで輪廻からの解脱を遂げられるとされています。

 

自分の死期を悟り、全てを捨ててワラナシの地へ向かうという人々がインドにいる事実に、僕はある種のショックを受けました。

自分が知っている「死」とはそんなものではなかったからです。

 

病気にかかれば、入院してあれこれ延命治療を受け、病院のベッドで最期を迎える。

これが不幸せだなんて思いませんが、死の迎え方としては貧乏だと思います。

 

日本では尊厳死が認められていません。

日本での死に方は、あまりに軽んじられていると思います。

物事の終わりが重要であるように、人生の締めくくり方ももっと議論されて然るべきだと思います。

とても難しい問題で、色んな意見があると思いますが、僕は尊厳死の合法化を望みます。

 

最大の聖地で、祭りの日に、印を結びながら、息絶えたこの人は自分の信条のもと最期を迎えることができたのです。

 

遠くから見ると、

ニンゲンが燃えて出すひかりは、

せいぜい六〇ワット三時間。

                                                     -『メメント・モリ』 - 藤原新也

 

ワラナシでは、火葬場が幾つかあります。

僕も間近で見たあと、ボートにのって遠くからも見ました。

 

60ワットというとLED電球一個分くらい。

生きている間に放つ人の輝きに比べれば、なんとあっけないことでしょうか。

 

どんなにパワフルで、キラキラ、燦燦とした人でも三時間で燃え尽きてしまう。

OとCとHとNとCaとPと...。

生物は有機物で、燃えたら灰になってしまう。

 

では魂はどうなる?

 

多くの日本人は信仰を持たないので、何の迷いもなく即答できる人はそうそう居ないんじゃないでしょうか。

 

「そもそも魂なんてない」という人も居るかもしれない。

僕は火葬場から立ち昇る煙を見て、ジョジョとかスターウォーズみたいに霊体が空に昇っていく描写を思い浮かべました。

当時は火葬場を前にして、そんなことを思い出す自分を、無粋で失礼なヤツだと思いましたが、今になって振り返ると、肉体が灰となって大地に還るのだから、魂は煙と一緒に本当に空に昇っていくんじゃないかと考えるようになっています。

天と地、二元論、肉体と精神。

 

いち理系人間としてどうかと思う考え方ですが、「死」に対する納得の仕方としては全然アリだと思います。

 

 

以下の記事でとても分かりやすくワラナシの事情を知ることができると思います。(グロテスクな写真があるのでご注意ください。)


 

 

 

本の題名が題名なだけに、本全体を通してすごく重くてシリアスな内容ばかりなのかなと思いましたが、そんなことはありませんでした。

 

猫への言及が2回ありました。どっちもクスっと来ます。

二つとも書いちゃうのは読む人の楽しみを奪ってしまうので、一つだけ。

 

ねこは猫の置物である

                                                     -『メメント・モリ』 - 藤原新也

 

 同感です。猫は置物。

「静」と「動」の差が激しいのもあってか、猫は「静」のときは本当に置物のよう。

「あれ、どうしちゃったの」と心配したら目玉がギョロっと動いてこちらを驚かせます。

 

他にも旅情を駆り立てる言葉と写真が沢山あります。

 

インドのワラナシで撮った写真がかなり多いのですが、日本での写真もちょこちょこ登場します。

インド極北の地であるラダックと思われる場所の写真も登場します。

 

ラダックの空の青さは、それはもう絵の具で塗りつぶしたような青さだと言われます。

 

かつて標高4千メートルの、真青の空の下で暮らした。あれ以来、いかなる土地にいっても空が濁って見えるという宿病を背負ってしまった。

                                                     -『メメント・モリ』 - 藤原新也

 

旅人にこんなにまで言わせる空を見てみたい。

ガイドブックで見るだけじゃ、やっぱり辛抱できないです。

 

インドに行く前に読んでいたら、また少し違う旅になっていたろうなぁと思いました。

僕がインドに行ったときの動画があるので良かったら見てみてください。

(ついでに置物みたいな大山の猫の動画もアップしました。)

 


次にインドに行くときはラダックと南インドに行きたいです。

 

きっと目に留まる、そして心に残る写真と詩があると思います。