その窓をあけてくれ - 小山田壮平
たしか Predawnの10th Anniversary Live、そして昨年の弾き語りツアーで聴いて以来、ソロ曲の中でも大好きな曲です。
この曲は愛する人に向けた歌というより、青春時代の恋と友情を歌った歌だと思います。
andymoriを経てもなお、小山田さんが青春を想い起こさせるシンガーであることに変わりはないのだなぁと思います。
あてのない旅の朝に出会ったブーゲンビリアが
鮮やかに燃えていたんだ
南風に撫でられて
揺れたテーブルクロスの上でコーヒーをかき混ぜた
ランタナにつづき、また花の名前を知ることができました。
中南米原産の花で、インドの伝統医療であるアーユルヴェーダでは糖尿病に効果があるとされているとか。
赤色、黄色、あとは紫色?の花をつけるようです。
「鮮やかに燃えていた」ということは赤いブーゲンビリアを見つけたのでしょうか。
「魂の花」と言われることがあるそうで、あてのない旅の朝に見つけた赤いブーゲンビリアに、なにか象徴的なものを見出したのかもしれません。
そして何といっても花言葉が「情熱」。
大切な人に歌いかけるような歌詞との繋がりも薄っすらと見えてきます。
裸足のままで飛び出した懐かしい家
色褪せても悲しいほど愛おしい日々
小さな庭 さびた車輪 バスケットリング
何もかもを優しく染めて沈んだ太陽
山の上に星が光り 流れて消えた
慌てて目を閉じたけど 願いごとが浮かばない
あのとき僕は感じた
ここは世界の果てだと
そしていつかここから出ていく日がくると
ソングライティングにおいて体言止めを羅列するのって割とよくあると思うのですが、小山田さんがこれをやると、作り出される世界観がビリビリと脳に飛び込んできます。
少年の日の記憶。懐かしくて、恋しくて。
やはりここまでノスタルジーを想起させる歌い手は小山田さんしかいない。
不意の流れ星に願い事が思い浮かばなかった。
そして自分のいる場所を世界の果てだと感じた。
かなりこの部分は解釈が難しいです。(笑)
「宇宙の果てはこの目の前に」という曲も書いている小山田さんの指す「果て」というのは勿論、物理的な「果て」ではなく、心理的な「果て」なんでしょう。
この「果て」を、ぼくは世界の隅、ひっそりとしていて孤独を感じるような心理をなんとなく思い浮かべます。
思春期特有の迷いだとか、悩みを感じて自分が世界の隅に追いやられたような感覚じゃないかなと思います。
そしていつかは「果て」から出ていく日がくると。「窓」をあけて外の世界に旅立つ、つまりそれは愛する人と出会うことであったり、世界を旅してまわり、沢山の人と逢うことなのかな、と僕は思います。
あの空に浮かぶのは誰の幻かい?
なぁ友よ 心して頷いてくれよ
もし君が要るのなら
望むなら
何度でも会いに行くよ あの日のように
この窓の向こう側へ
「ベースマン」しかり、小山田さんが友達や相棒に向ける歌は男の友情の手本みたいだ。
眩しいし、胸が熱くなる。
窓を開け放って外の世界へ。
一つ前の記事、折坂悠太の「坂道」では
締め切られたあの窓に
「自由だ」と言い聞かせて
とあり、なんだか似たものを感じさせます。
9月と10月のツアーがとても楽しみ。
坂道 - 折坂悠太
大傑作、『平成』の冒頭を飾る超名曲。
僕にとっては折坂悠太の曲の中でぶっちぎりに大好きな曲です。
この曲を聴くことで得られる高揚感たるや。
イントロのピアノの九つの完璧な音階の組み合わせに心が躍ります。
アウトロだって最高です。
ここから物語が始まると言わんばかりに高らかにそして、あっさりと曲を締めくくります。
これ以外に正解はないと思わされる出来です。
坂道を駆け下りる
この体に開かれた世界を置き去りに
鳥のように駆け下りる
坂道を、手を広げて堂々と歩くような気分。
「この体に開かれた世界」ってユニークで、やや自分の世界に酔いしれている感じがいいです。オーリーの歌を聴いてると彼のテリトリーに無理やり連れてこられる感覚があります。
「角部屋」とか「逢引」とか「あさま」とか。
小説の世界に没入するのに似てる気がするんですよね。
重心を低くとり
加速するこの命が
過ぎてく家や木々を抽象の絵に変える
初めて聴いたとき、フフッと思わず笑っちゃいました。
ライブで重心を低くして歌うオーリーを想像したからです。
実際はそこまでお茶目ではなかったですが…。(笑)
「加速する」以降はかなりシュールです。
歌っているのは多分、スピードを増していく自分から横目に見える世界が段々とボケていく様子。
新幹線からみる車窓の家々が抽象画みたいにぼけるやつ。
きっと無理やり格好よく詩に書き換えたんです。たぶん。。
季節が耳打ちする
「俺たちに何を待つの」
締め切られたあの窓に
「自由だ」と言い聞かせて
物体の擬人化はよくありますが、「季節」の擬人化ってなかなか変わってますよね。
ここら辺は特に折坂節みたいなものを感じてしまうところです。
閉ざされた部屋から世界へ。
こんな風に歌い上げるのがカッコイイ。
その角を曲がれば 細く、暗い道に出る
いつかは会えるだろう
嘘みたいなそんな場所で
未来は必ずしも明るいものではないが、なに、暗くなることはない。
この曲はそんなことを言っている気がします。
うまく言えないけど、「坂道」という曲が生まれてきてくれてとても感謝しています。
それくらい好き。
我に返ると、ちょっと引くくらいこの曲が好きなんだと実感しました。
三月の雨 (Águas de Março) - Antonio Carlos Jobim
九月になりました。
二年前の九月末のPredawnのライブ。アンコールでこの曲が歌われました。
Predawn曰く、「ブラジルでの3月は日本での9月に相当する」のだそうです。
それから僕は9月になったらこの曲をプレイリストに入れて雨を楽しむのです。
ありがとう、Predawn。Predawnカバーよかったなぁ。
「三月の雨」と訳すか、「三月の水」と訳すかは人によりますが、僕は「雨」派です。
「水」じゃ意味がよくわからないという単純な理由です。
僕の妄想ではジョビンは三月の深々と降る雨のなか、この曲を書いたのです。
「三月の雨」と訳すか、「三月の水」と訳すかは人によりますが、僕は「雨」派です。
「水」じゃ意味がよくわからないという単純な理由です。
僕の妄想ではジョビンは三月の深々と降る雨のなか、この曲を書いたのです。
ジャズミュージシャンの菊池成孔氏による解説&訳詞朗読&歌。
言ってしまえば、この曲は名詞をつらつらと羅列した変な曲です。
意味があるのかどうかは音楽において肝要ではないですが、この曲は不思議な魅力に満ちています。
歌詞に現れる言葉たちから連想するのは、、
無機的な物質世界と生きた流動的世界、そしてこの自分の身一つ。
一瞬の出来事、人と人の交わり。それらが孕んでいる危うさと楽しさ。
波のように押しては返していく感情。
生きるとはどういうことか。
こんなことを考えてしまうくらいには、この曲は不思議なパワーを持つ素晴らしい曲です。
この曲のカバーは数多ありますが、僕の好きなカバーはこれです。
楽しい音楽です。
Open Water - The Saint Johns
どこでこの曲に出会ったのか全く覚えはありませんが、とてもお気に入りの曲。
The Saint Johnsは男女のユニットらしい。
それくらいしか知らない…。
この曲はすごく力強いし、綺麗。
決して美声というものにカテゴライズされる声ではないけど。
二人の声のアンサンブルは、お互いが他方を補うように、高めるようにして聴こえてきて琴線に触れるのです。
「Open Water」は開水域。つまり座礁などせずに安全に航海できる水域の意だそう。
または雪解け水の意味もあるよう。
I`ll drive these lonesome highways
Your voice travels my way over these powerlines
自分の信頼を寄せる、愛する人への歌と解釈してよさそうです。
人生を長い旅と見立てたとき、「あなた」はその旅路において自分にとって心を許すことができる、そして自分に力を与えてくれる存在なんだ。
そんな風に歌っているような気がします。
何か映画の一幕のような、海岸線を車に乗って走り抜けるカップルの姿を勝手に思い浮かべました。
いい歌だ。
砂漠の流刑地 - ふくろうず
だんだん だんだん変になる
この歌詞に従い、だんだんとMVもぶっ壊れていきます。
ボーカルは倒れてるし、ドラムの人はクリームまみれ、そして一人いなくなっている。
楽器も壊れまくり。
最初のほうから一気に飛ばして動画の最後に行くと笑っちゃいます。
砂漠を歩く旅人のように
星を見つめていたい
「砂漠を歩く旅人」で僕は世界的名著の「アルケミスト」をなんとなく思い浮かべました。
この物語において少年を導く「前兆」とこの歌詞に似たものを感じたからです。「前兆」は自らの夢の道しるべのような存在です。
夢をあきらめないかぎり、宇宙のすべてが協力してそれを実現するよう手助けしてくれる。その助けの現れが前兆です。
仮にボーカルの内田さんが「アルケミスト」をモチーフに開いていた場合、「旅人のように星をみつめたい」は「夢を抱いて歩み続けていたい」と置き換えることができると思います。
内田さんは本が好きな方なので、多分そうじゃないかなぁ…。
けばけばしいだけの
誘うルージュのように
恨むのはやめた
難解な歌詞ですが、あまり歌詞でみたことのない歌詞があったりして面白いです。
わからないなりに考えてみると、
「外見を取り繕って誰かを振り向かせようと頑張ったり、失敗して憎しみを抱えたりするのはやめよう」
ってことなのかなと。
神様は君だった
一途に思っていた
女の子だから
この歌詞好きだなぁ。
自分にとっては神様はすぐそばにいる大切な人だった。
きっとここでいう神様は全知全能で、世界を創ったような存在ではなく、その存在のおかげで自分が救われるような人のこと。
すてきな二人じゃないですか。
100万回戦争やって
この手を真っ赤に染めたって
いま だんだん だんだん好きになっていく
この曲のタイトルに「流刑地」とあるのはなぜなのか。
罪と戦争はなんとなく関連付けできなくもないですがはっきりと意味はわからない…。
たぶんずっとわからない。(笑)
最後のほう、内田さんがボソボソ言っていますが、これは般若心経を言っているそうです。
そう聞かされても全くわからないですけど。(笑)
ドリーミーかつセンチメンタルな気分にしてくれるふくろうずは本当に唯一無二のバンドでした。
ふくろうずは特別なバンドです。
解散する前にあったライブを「またいつか行けるだろうからいいか」と考えてパスしたことを後悔しました。
それ以来大好きなミュージシャンのライブは行けるだけ行くようにしています。
ちなみにふくろうずは、まだYouTuberという単語が生まれる前からYouTubeに動画を投稿していて、そこらへんのYouTuberより面白いので是非。
馬市 - 折坂悠太
このMVの監督は折坂美帆さん。
『あけぼの』のクレジットには「写真」で折坂麻理江さんの名があります。
結婚もされている上に、お姉さんがいるそうなので、どちらかが奥さんでもう片方の方はお姉さんかなーなんて妄想しました。
にしてもアーティスティックな素敵な家族です。
馬市とはその名の通り「馬を売り買いする市場」です。
曲中で印象的な「はいどう」は競りの掛け声かなんかでしょうか。
ひしめく男 馬の市
草を賑わす 蹄の音
賑やかな、活気ある馬市の様子が思い浮かびます。
馬市に行ったこともないのに、この曲はとても楽しい気分にさせてくれます。
先立つ物は 青空と
風に横ぶくたてがみよ
お馬さんの逞しき姿。
牧歌的で生き生きした描写です。
まさにフォークロアなアルバムである『たむけ』らしい曲だなと思います。
水面と見紛うその肌よ
恋は鼻先、口の中
大好き、この歌詞。
本当に素敵な感性。
静かだけど風に揺られて揺れ動く水面のような生き生きした、瑞々しい肌を想像しました。
恋は〜のくだりは難解です。
お馬さんの恋?
はたまたオーリーの恋愛美学なのか…。
はいどう
最上の水
最上川。
馬市と関係があるのかと調べてみたらこんなページがありました。
https://www.pref.yamagata.jp/ou/somu/020026/mailmag/series/pride/baniku.html
オーリーがなぜこの背景を知っているのか謎がありますが、勉強になります。(笑)
こちらは少しワイルド。
アルバム『たむけ』に収録されているバージョンです。
カッコよすぎる。